とにかく若い人たちが経済的にも住みやすい仕組みや、遊休地を活かした農業の在り方を作っていきたいです。若い人たちが生きやすいまちづくりをしたいなと思います。
青山 洋子
AOYAMA YOUKO
藥壺堂(やっこどう) 代表
中医学・薬草学
沸点が低いところ(笑)
子育てが落ち着いてから、飲食業に挑戦し、その中で自身の体調などから中医学に目覚めて勉強。今では、地域の人と連携して、市田柿に続く第二の特産品として山楂子(サンザシ)の栽培・製品化に取り組んでいる。
瑠璃寺の桜
瑠璃寺の桜
本日はよろしくお願いします。どういうことをやられているのか、自己紹介とともに教えてください。
どこから説明したらよいですかね。(笑)
まず、私は今、国際中医師と国際薬膳師の民間資格を持っています。中国の伝統医学、には自然に寄り添った生活や自然界のエネルギーを体に取り入れていくという考えがあります。
その中で、地元の食材を活かして健康や地域にどう役立てていくかを模索してきました。瑠璃寺の住職が境内に休憩施設であるこの「瑠璃の里会館」を作る際に、手を挙げさせてもらい、管理をしながら場所をお借りして運営をしています。
薬草王国といわれる信州ですが、瑠璃寺の境内にはさまざま薬草が自生していますし、町内にも薬草園があったりと、小さいころから薬草には強い関心を持っていました。
そういうこともあって、自然の恵みの薬草をみなさんの生活の中に活かせればいいなという形で、お薬師様のお膝元で活動させていただいています。
瑠璃寺本堂
そうなんですね、薬師の意味を初めて知りました。
薬師如来は、いろいろな仏様がいる中で、医薬を司る唯一の仏様とも言われていますね。お薬師様(薬師如来)は左手に、薬の壺と書いて「薬壺(やっこ)」を持っています。
病める人に対してその壺から、それぞれに合った薬を取り出してくれると言われています。
大変恐れ多いのですが、そこからお名前をいただいて屋号を「藥壺堂」と名付けています。
今思えばかなり大胆だったなと思っています。(笑)
薬師如来 薬壺
何年前からやられているんですか?
18年前からやっています。当時は飲食の経営からスタートし、今とは違う屋号でやっていました。始めてから数年後に国際中医師の試験に合格したので、それから名前を「藥壺堂」に変えました。2011年なので12年前のことですね。
国際中医師の資格を取るに至るきっかけはあったのでしょうか。
私はすごく重症のアトピーを患い、入院していたこともありました。
先生から「これは治らないから、一生付き合っていくものです。薬で制御するしかないですよ」言われたのですが、「そんなはずはない」と納得できなかったんですね。
それで、試行錯誤で治療法を探して行くうちに、中医学と出会いました。
中医師の先生から、「体質改善すれば、治りますよ」と言われまして、ええっ!と驚きました。そこから勉強するようになりました。
何事も原因があって、結果があります。
もちろんアトピーになるのも必ず原因があるので、それがわかれば治るよという理屈になります。
そのお陰で、今ではほとんどアトピーは出ていません。原因がわかっているので。(笑)
中にはステロイドを塗られて治す方もいますよね。薬膳の考えでは外からではなく、内側から変えていくという感じですよね。体調面なども変わるのでしょうか?
そうですね。内臓から整え直すって感じで、体調がよくなると精神的にも健康的な生活を送れるようになります。
中医学は、名前の通り中国が起源ですか?
はい。中国伝統医学を省略して中医学と呼びます。辿っていくと、実は仏教医学にもつながっているんですね。「陰陽は天地の道理なり」というのが基本的な考え方です。もちろん人間の身体も陰陽でできているのでので、陰陽のバランスが悪いと、病気になります。それをどう整えるのかがポイントになってきます。面白いですよね?
面白いですね、とても興味が沸いてきます。
究極の場合、高熱が続いて極まると、逆にエネルギーを使いすぎて、冷えに転じてしまいます。それを繰り返すと陰陽を消耗し死に至ります。また、陰と陽が分離すると「死」になります。極端な陰と陽にならないために、バランスを保つことが大切なんですね。
基本的に、熱が出た時は冷まします。ただ、余分な熱なのか、バランスが崩れて起こる熱なのかを見極めないといけないんです。
つまり、陰と陽のバランスが崩れ、陰が足りなくて相対的に陽の部分が多くなると、ほてりや微熱の症状がでます。これは虚熱といって、陰が虚していることによる熱なので、取り除いてはいけない熱なんですね。陰を増やすことで陽とのバランスを整えるのが正解です。
なるほど、奥が深いですね。近いところでいうと、薬膳鍋がありますよね。クコの実、ナツメなどは見ることはありますね。
クコやナツメは薬膳を代表する食材ですが、それを入れただけで、薬膳鍋と言われると、ええっ?と思いますよ。(笑)大事なのは、その「食材がもつ役割」が食べる人の体に必要かどうかということです。体質に応じて、必要な食材を選ぶのが薬膳の基本なんです。その体質を診断するのに必要な知識が中医学なんです。
中医学にたどり着くまではずっと飲食をやられていたとお聞きしました。12年より前は、食事を提供していたのか、もしくはカフェをやられていたのですか。
食事の提供をしていました。その頃からすでに薬膳の勉強をしていて、勉強したことを料理に活かすって感じですね。
なぜ飲食店をやりたいと思ったのでしょうか?
子育てがひと段落して、子供たちが2人とも地元から離れて寮生活になって手が離れたので、自分がやりたいことをやってみようと。自分の体調のことや、料理は嫌いではなかったというのもありました。自分でお店をやってみたいって、けっこうみんな思ってるんじゃないですかね?私もそのうちの一人です。(笑)
すごい、バイタリティですね。やってみてどうでしたか。楽しかったですか?
それは楽しかったですね。でもまったく利益になりませんでしたが。(笑)
楽しいことと収入とはなんだか反比例しているような気がします。比例しないのは私の力不足でしょうけど。
ゆるい経営ですが、それでもみなさんからのご慈悲でなんとか生き延びている感じです。(笑)
薬膳料理
今も仕事は楽しいですか?
好き勝手にやっていますから、それは楽しいです。(笑)それに中医学の勉強も楽しいです。ただ、収入につながらないのが大問題ですが、それでもいろんなことに取り組んでいます。
それはどんなことでしょう?
サンザシ(山楂子)を使ったお菓子の製造です。サンザシについて語りだすと、帰れませんよ~。(笑)
簡単に言うと、サンザシとは中国原産の赤い果実で、中国では日々の健康維持や美容に欠かせない食材として活用されています。強い酸味と豊富な食物繊維(ペクチン)が特徴なんですが、ビタミンやミネラルも多く含んでいて、抗酸化作用や血流改善・免疫機能の調節などに効果が期待できると、近年大変注目されているスーパーフードのひとつなんですよ。漢方薬にも利用されているんですよ。
日中友好交流の関係で高森町では昔から栽培されていたようなんですが、ただ、まったく日の目を見なかったんですよ。
10年ぐらい前に、知人からサンザシを使って何か作れないかといわれましたが、当時の私には実力がなく、うまく商品化したり活用することができませんでした。
それでも、サンザシは日本全国を見ても栽培しているところが少ないので、うまくいけば地域の特産になるのではないかと思いました。中医学を学んでいくうちに、その価値に気づいたということです。
今は、サンザシを使った中国でも有名なお菓子「サンザシ条」を高森町で商品化しようと、これまでやっていた飲食の営業から菓子製造業に変えたんです。地元の企業、戸田屋さんにもご協力をいただき、商品開発をしています。
サンザシ
面白いですね。味見をさせてもらいましたが、酸味が強いですよね。これは砂糖とサンザシだけ入っているんですか?それと、この実は結構な収穫量もあるということでしょうか?
はい。原料はサンザシと砂糖の2つだけの無添加です。収穫量はまだ、50kgぐらいといったところでしょうか。商品化には程遠いですね。(笑)
実は、「山楂子プロジェクトチーム」を結成しまして、新たに苗を植えたりして本格手な取り組みを開始しました。メンバーには、TAKART(若手グループ)を中心に地元企業のアルプスクリーンさんが重機などの協力をしてくださっています。また「熱中小学校」というコミュニティでも「ボタニック薬草LAB.」を立ち上げて、商品化や販売などの取り組みを、チームで協力して活動しています。
キウイ、ブルーベリーのパイ
取り組みが広がっていて素敵ですね。いろいろな活動をされながら食に関わっているということですね。
はい。最近では熱中小学校に来ていた酒井さん(農家)が作っているハチミツを使って、ブルーベリージャムをつくり、パイにしました。また、熱中小学校の生徒さんが作っているキウイを使った商品も検討しています。
あとは青リンゴのグラニースミスやブラムリーなどの変わった品種も商品化できないかと研究しています。酸味のあるリンゴなので、パイとかにいいのではないかと思って、こちらも商品開発中です。
地元で採れたフルーツで、とりあえずお菓子やジャムを作っている感じですね。まだまだ研究中です。
これらは、どこで買えますか?
旬彩館でこれから販売していく予定ですが、あくまでも予定です。(笑)
サンザシのピューレ
既にいろんなことをやられている最中だと思いますが。これからやりたいことなども教えていただけると嬉しいです。
そうですね、やっぱり若者が帰ってこないという危機感を感じています。産業をつくらないと若者が帰ってこないと思っているので、経済的な仕組みを作らないといけないのですが、とにかくやれることをやり、何か道が生まれればと思っています。
私は能力がない人間ですから、能力がある人の力を借りてチームで動いていくしかできないですから。
個人というよりはチームとして取り組まれているんですね。
はい。一番大事なことは、人とのつながりだと思っています。今は十数人ぐらいでやっていますが、みなさんとても協力的でほんとうに有難くて、感謝しかないです。そういう人たちのネットワークをもっとうまく機能していく仕組みが、自分たちに少し足りないなと感じているので、どなたか知恵のある方はお力を貸してください。(笑)
とにかく若い人たちが経済的にも住みやすい仕組みや、遊休地を活かした農業の在り方を作っていきたいです。若い人たちが生きやすいまちづくりをしたいなと思います。
そうは言っても、もうそろそろ老害だと言われる年齢ですので、そうならないように気を付けたいですね。(笑)
ありがとうございます。その想いがあればきっと伝わっていきますね。引き続き、頑張ってください。応援しています!
サンザシ畑にて剪定作業 プロジェクメンバー
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写真・文:Yusai Oku
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※本記事は2023年3月29日時点の内容を掲載しております