就労継続支援B型事業所 合同会社なごみ 管理者 長沼 和孝

就労継続支援B型事業所 合同会社なごみ 管理者 長沼 和孝

長沼 和孝

NAGANUMA KAZUTAKA 就労継続支援B型事業所 合同会社なごみ 管理者
Interview

従業員ももちろん、利用者さんが「ここに来たい」と言ってくれる限り、そういう仕事を作っていって、この場所をよりよいところにしていきたい。

TAKAMORIJIN File No.022

長沼 和孝

NAGANUMA KAZUTAKA

就労継続支援B型事業所 合同会社なごみ 管理者

すぐに、どこでも寝れるところ(笑)

思い立ったらすぐに行動してしまうところ

和やかな笑顔からは想像できない、熱いパッションの持ち主。ラグビーに明け暮れていた高校時代。卒業してから工場で勤務していたが、「ここではない」と思い、整体の道へ進んだ。先ずは、障がいのある方々にちゃんとした賃金を払うこと、雇用の拡大を目標として次のトライ(策)を狙っている。“行動しながら考える”人。

湯が洞の温泉

就労継続支援B型事業所 合同会社なごみ 管理者 長沼 和孝

本日はよろしくお願いします。今、高森町でどういった活動をしているか教えてください。

リラクゼーション施設「なごみ空間」と就労継続支援B型事業所「なごみ」を経営しています。8年程前に、このあたりに治療もできて、マッサージもできるみたいなところがなく、ならば自分がやろうと考え、名古屋の整骨院での修行の後、「なごみ空間」を始めました。やっていくなかで従業員が増えていき、飯田市にオープンすることもできました。
その後、これからも長く働いてくれる人が増え、将来もっと雇用して給料も増やしていきたいと考えました。マッサージは体力を使う仕事なので、それだけをこの先続けられるかというと厳しいかなと思い、雇用や収入の安定を考え、4年前から違う収入も作ろうと農業にも挑戦し、「なごみ」を始めました。

すごい・・・農業に挑戦したのは新規での就農だったのでしょうか?

そうですね、新規就農で始めています。

建物の下の階で作業されていた方々は、雇用されている人たちということですか。

そうです。就労支援の利用者と、一般就労の方たちが一緒に仕事をしているので、利用者にとっても良い刺激になっているのではないかと思います。僕は障がいのある方々に対し、他の事業所や施設よりも報酬を少しでも高く払いたいというのがあって、僕の事業所は高めに設定しています。それを喜んで来てくれている利用者もいます。

素晴らしい心構えですね。元々農業もやりたかったのですか?

そうですね、元々はリラクゼーション施設をやっているときから農業にも興味があり「やりたい」という気持ちがあったんです。
最初は、僕ともう1人で農業をはじめました。
2年目〜3年目からどんどん規模を大きくしていきました。

農業をやっていく中で、せっかくやるんだったら障がいがあってなかなか働けない人たちに仕事をお願いできればと考えるようになりました。調べてみると、就労支援のA型とB型というものがあるのを知りました。
相談を聞いてくれる場所へ行ってみると、「就労支援の施設はあるけど規模が小さい。定員が少なく空いている店舗の一室でやっているところが多い。段差があって車椅子の人たちが働ける人が少ない」と現状を話してくれました。

そこで、車椅子の人たちも働けるような加工所を作ることになりました。26歳でリラクゼーションとマッサージを始め、その4年後に農業を始めたんです。

戦略的にやられてきたんですね。今は、何人ぐらいの職員と利用者がいらっしゃるのですか?

いや、戦略的ではないですよ(笑)今は、15人の利用者と僕も含めて4人の職員でやっています。他に連携してやっている農業の職員が3人います。

大きな規模になってきたということですね。これに加えて、リラクゼーションの施設も続けてやっているんですか?

そうですね。そちらも続けているので20名は超えていますね。

長沼さんは高森町出身で名古屋に出るまでは、ずっと下伊那に住んでいたのでしょうか。

高森町出身ではなく、飯田市の上郷出身です。
高校では、ずっとラグビーをやっていました。
高校を卒業後、特にやりたいこともなかったので、「とりあえずお金を貯めよう」と自動車関係の工場に就職しました。でも、やりながら「自分には違うかな」と思うようになったんですよね。「人に直接役に立つ人になりたい」と。
そこで4年間働いた工場を辞め、1年間整体の資格を取るために学校に通うことにしました。ラグビーをしていたときにケガなどを診てくれていたトレーナーの先生を頼って電話をしたところ、名古屋で活動していると知り、1年間は学校に通い、その後名古屋にいる先生のもとで修行させてもらいました。
名古屋には2年ほどいて、その先生と一緒に帰ってきて、そこから一緒にリラクゼーションを始めました。

そのトレーナーとのご縁を強く感じますね。名古屋のお店は閉められて、こちらに来られたんですか?

そうです。名古屋のお店を畳んでから、高森町に来ました。

名古屋で仕事をしていたときは、経営者の方も来てくださって、その紹介で中国で仕事しない?という話もあり、コロナがはじまる3年ぐらい前に月に1回中国に行くなんてこともしていましたよ。

おもしろいですね。それはどんなお仕事だったんですか?

中国では、痛いのを治すとか、美容の整体というのがないみたいで、日本の先生をすごく信頼してくださるんです。

月の半分ぐらいは中国に行って教えて・・・戻ってきては仕事する生活をコロナ禍になる前までやっていました。

なるほど、それが26歳から27歳ぐらいのときということですね。それで2人で起業されたということなんですね。小さい頃から整体や身体のことに興味があったのでしょうか?

いいえ、高校生のときはラグビーしかしていなくて進路なんて考えていませんでした。

ラグビーは強豪校だったんですか?

下伊那農業高校なのでこの辺りでは一応強いかと思います。

農業高校なので農業に興味を持っていたということですか?

いえ、そのときには全く興味がなくて。ラグビーしかしていませんでした。

一応、全国大会にも出て、今日本代表で活躍されているキャプテンとも全国大会で対戦したこともあります。

高校を卒業してからラグビー選手になるという道は選ばなかったんですか?全国大会に行ったとなると推薦もたくさん来るような気もしますが?

いくつか推薦の話もあったんですが、とにかく遊びたかったというのもあって、高森の工場で働くことを選びました。(笑)
でも、今も社会人チームで続けています。

ラグビーをやっていて、現在も活きている経験はありますか?

ポジションが10番のスタンドオフっていうところだったんですが、試合を組み立てたり戦術を考えたりした経験が、すごい活きている気がしますね。

経営にも関連性のありそうなポジションだったんですね。経営の勉強はされたのでしょうか。元々”障がい者福祉施設”というようなブランディングをされていたりするのでしょうか?

経営に関しての勉強は、特にしてないです。市田柿に関しては、僕が好きでやっているので、障がい者福祉を売りにするような付加価値を付けるみたいなことはしたくないですね。

少しずつ売上は上がってきているのでしょうか?また、これからのビジョンがあれば、教えてください。

売上はありがたいことに上がっています。定員も増やしていけるので、利用者を増やせるように事業を拡大していきたいと考えています。

これからが楽しみですね。逆に、福祉のことを仕事にしてている上で難しさとかもありますか?

福祉を専門的に学んだわけでもなくはじめての取り組みだったので「この障がいの人はこうです」みたいな変な先入観がなくて、障がいに対しても抵抗がないんです。普通に接します。問題があればちゃんと話をするように心がけています。もちろん難しさはありますけど、楽しんでできています。

一人一人に合わせてやられているのを感じます。これから、目指していきたいことを教えてください。

先ほども言いましたが、賃金をあげたいというのがあります。B型の事業所は、県の平均で1人あたりの賃金が1万5千円なんですよね。1番少ない方でも、毎日通所できて、お仕事して頂ければ2万円以上はお支払いできています。そこをもうちょっと上げていきたいと思っています。マッサージも、農業も、福祉も、働いている人たちの環境を、よりよくしていきたい、と思っています。

今日は、貴重なお話をありがとうございました。長沼さんみたいな経営者がたくさん増えて欲しいなと思いました。これからも活躍に期待します!

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写真・文:Yusai Oku
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※本記事は2023年2月24日時点の内容を掲載しております