鉄板居酒屋「亀じぃ」 小池智典

鉄板居酒屋「亀じぃ」 小池智典

小池智典

TOMONORI KOIKE 鉄板居酒屋 亀じぃ 店主
Interview

流れに身を任せて、頂いた縁を大事に。人生一度きりだからこそ後悔のないように楽しむことをモットーに飲食店を営む。

TAKAMORIJIN File No.018

小池智典

TOMONORI KOIKE

鉄板居酒屋 亀じぃ 店主

揚げ玉ボンバー

小さい子にメロメロになる

27歳で飲食の道に入り、店を開いた人。亡くなった父親のことを忘れさせまいと父親の呼称である「亀じい」を店の名前に掲げている。昼間はランチ営業、夜は鉄板居酒屋に様変わりするお店。お店に食べにきてくれた方たちとの会話を大事にして、みんなと楽しみながらお店を営んでいる。

不動滝

鉄板居酒屋「亀じぃ」 小池智典

よろしくお願いします。ぼくも「亀じい」を何度か利用させてもらったことがあります。小池さんはこちらのご出身ですか。ここがご実家ということですか。

高森出身です。そうですね。いろいろありまして、もとの実家は今はもうなくなっています。 今は自分の実家としてしっかりやっています。

おとなりにあるのが実家ですか。

あれは違います。あれは元々ここでお店をやっていた人が住んでいます。その方はお店をもうやめるというので、店を自分が買い取りました。

生まれ育ったのは高森で、小学校、中学校はずっとこちらなのですか。

ずっと高森です。

お店をオープンしたのは何年前ですか。

8年前ですね。

それより前は何をやっていらっしゃったのですか。

その前は飯田の居酒屋「のんべえ」にいました。

飲食の仕事をやっていらっしゃったのですね。高校までは高森にいたのですか。

高校を中退して、東京に行きました。その後こちらに戻って建設業をやった後、静岡県沼津市に移り看護学校に通いました。2年になって訳あって看護学校をやめて、またこちらに戻って来ました。そして、また沼津に行きたいなと思い沼津に戻りました。沼津では新聞配達をやっていましたが、27歳の時に、飲食の道に入りました。

いろいろな業種・業態を点々として、いくつの時に戻って来られたのですか。

こちらに戻ってきたのは36歳の時です。それからお店をオープンするまでは1年半程かかりました。一応自分で店をやりたいなと決めていて、出すなら高森と考えていました。探してもなかなかいいところがない時に、タイミングよくこの物件が出てきて、ここならいいなと思いました。

店の名前の「亀じい」はどこから来ているのですか。

私の甥っ子、姪っ子が私の父親のことを「亀じい、亀じい」と呼んでいたのがもとです。それと父親が仕事中の事故で動けなくなり、私がずっと親父に迷惑をかけてきたこともあったので、自分がお店を出すことで楽をしてもらって、毎日カウンターで飲んでいてくれたらいいよという想いもあり、お店の名前を「亀じい」にしました。実際は、その想いが叶う前に父親は亡くなってしまいました。人は二度死ぬと言われています。一つは肉体的な死です。もう一つは人の記憶からなくなったときが二度目の死。この「亀じい」の名がついたお店がある限り、父は二度死ぬことはない、みんなが覚えているという想いを込めてやっているのがこのお店です。

オレンジのユニフォームであるところからもドラゴンボールの印象が強いですね。

最初に亀じいのロゴを作り、次に高森町は市田柿カラーだからオレンジにしようと決めてポロシャツを作ったら、これはドラゴンボールっぽいなと気づきました。そんなこともあってドラゴンボールのフィギュアなどを置いていたら、お客さんも持って来るようになりました。それでこういう感じになりました(笑)。

別に狙ってやっていたわけではないのですね。周りの人がますますドラゴンボールっぽいブランディングをしていたのですね。ドラゴンボールがすごい好きというわけではないのですか。

好きというより、世代的には漫画も全巻読んでいて、アニメも見ていたので、ちょうどいいかという感じです。

ドラゴンボール店という風になっていたのですね。

勝手になっていました(笑)。

おもしろいですね(笑)。でも、お客さんもそういうイメージを持って来られる方も多いのではないでしょうか。

そうですね。別に知らないわけではないので、ある程度会話はできます。最新の「ドラゴンボール超(スーパー)」もある程度はわかります。

ドラゴンボールは年代的に小学生くらいの頃だと思いますが、その頃はどういう少年だったのですか。高森町で育った時はどういう感じでしたか。

柔道をやっていて、柔道クラブに入っていて、そこで礼儀を学びました。中学は「こまつ家」店主の手塚さんと一緒でサッカー部でした。お調子者でした。中3の頃は結構やんちゃでした(笑)。

高校を中退されてからは特に狙ってというわけでもなく、流れるようにお仕事をされている感じですね。ご縁があったところに行く感じですね。飲食に落ち着かれていますが、やっぱり飲食の方が向いているというか、楽しいというところはありますか。

父親が料理を作るのが好きで、そういうのを小さい頃から見ているので、料理は自分で作るものだと思っています。親父はゲテ物から細かいものまでなんでもやっていました。鯉もやったし、蛇もやったし、ウサギも、タヌキもやりました。血を抜くところからですね。鶏もやっていました。熊はさすがになかったですね(笑)。

8年お店を続けられているということで、飲食はちょうど板についている感じですね。やっていてどういう時に楽しいと思ったりするのですか。

今はやっぱり、来店当初は独身だったお客さんが結婚して、子どもが生まれ、子どもと一緒に店に来てくれたり、今度はその子たちが大きくなってお店に来てくれるというように、何世代に渡ってみんなと接していられるのは楽しいですね。

高森のいいところを教えてください。高森から外へ出たからこそわかることってあるのではないですか。

人は暖かいですね。小さい街なので、知らないよりは知っていることの方が多いです。四季を楽しめます。自然の中にいると、のびのびと育っていく環境がいいのかなと思います。

皆さん、ずっと高森にいるよりは一回は町外に出た方が高森の良さがわかるとおっしゃいますね。

高森をいいと思うのか、よくないと思うのかは本人次第ですね。他を経験してくるといいところもよくないところも見えてきます。ここには、ここにしかないものもあります。そこに気づけるのか、気づけないのかは一回出た方がわかるのではないかと思いますね。

このお店を大事にしながら、お客さんとの会話を楽しんでいるのですね。

ここに自分がいるから、女将として嫁がいるからお客さんが来てくれているんだというのが強いです。自分の分身を作ればいいのですが、それでは自分ではないなと思います。自分が多店舗展開を視野に入れているのであれば、そこまでしますが、そこは考えていません。一店舗でみんなと楽しくやれていればいいなと思います。

お店で出していて一番のオススメのメニューは何ですか。

キャベⅡ(キャベツー)ですね。勤めていた沼津の「あした葉」というお店の看板メニューで、沼津ブランドの認定も受けているんですが、その社長に、独立して出すから、これをやらしてほしいと頼みました。つなぎのないお好み焼き、キャベツの蒸し焼きみたいなものです。ほぼメインがキャベツなので、体にいいですよ(笑)。揚げ玉、ベーコン、キャベツと卵2つで作ります。
他には創業当時からつぎ足している亀じい特製の手羽揚げもおススメです。

亀じい特製のホルモンもよく出る人気商品ということですが、こだわりはありますか。

お酒を入れて蒸し焼きにするので、ふわふわでプリプリになります。焼き肉とはまた違う感じで食べられます。カリカリふわふわの食感になります。

他にやりたいことはありますか。

今はラーメン屋でもやろうかなと思っています(笑)

今、ラーメンも出されていますが、ラーメン屋をまた別でやられるということですか。

それはもう甥っ子か誰かやる人を探してって感じです。

レシピはもうありますよね。これはもう自分で作っているのですか。

全部出来ています。たれもスープもレシピが出来ています。

鉄板焼き屋さんでラーメンもやっているのですね。ラーメン屋も今後やっていけたら いいなという感じですかね。

やりたいという甥っ子たちがいれば、やらせてあげたいです。

ありがとうございます。高森人図鑑を見てくれている方に何か伝えたいことはありますか。

一度きりの人生だから本当に後悔のないように楽しく過ごしてほしいということです。

自分の人生に後悔はない感じですか。

後悔ばっかりです(笑)。最初の時点でこうなりたいという夢を持って、それに突き進んでいればもう少し違ったものになったのだろうなと思います。夢、目標、こうなりたいというものに向かっていけたらよかったなと思います。みんながみんなそうじゃない人の方が大半だと思います。途中で気づいても、いつでもいいので、何歳になってもできますから、そこに向かって行ってほしいです。

これまで話を聞いてきて、「楽しい」ということがキーワードなのかなと思います。人生を楽しんで、ご縁を大事にということですね(笑)。貴重な時間をありがとうございました。

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写真・文:Yusai Oku
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※本記事は2022年10月31日時点の内容を掲載しております