小松屋株式会社 代表 手塚 勇

小松屋株式会社 代表 手塚 勇

手塚 勇

ISAMU TEZUKA 小松屋株式会社 代表
Interview

「何クソ根性」みたいなところで育ってきた。偶然の連続かもしれないが、それを生かして挑戦し続ける農家であり肉そば屋さん

TAKAMORIJIN File No.017

手塚 勇

ISAMU TEZUKA

小松屋株式会社 代表

片付け上手

動きすぎること(笑)

花農家から市田柿の専業農家へ転身後、幼馴染の影響で行列の絶えない肉そば屋さんとの麺業農家になった人。ビジネスパートナーともなった彼と共に着実に自身の事業を大きくさせている。これから民泊などにも挑戦し、歩みを止めない何事にも果敢に挑戦していくバイタリティが溢れまくる、次の一手が気になる。

かわまちづくり

小松屋株式会社 代表 手塚 勇

本日はよろしくお願いします。肉そばを食べさせていただいたのですが、評判通り美味しいですね。ラー油が効いていてピリ辛で、癖になる味付けでした。

ありがとうございます。そばの上にのせているネギやかき揚げに使っている玉ねぎは自分たちの畑で作ったものなんですよ。6次産業化を進めているので、そば茶も作って直売所でも販売しています。

ほんと美味しかったです。でも、元々は?というよりそもそも農家さんなんですよね?どうして肉そば屋をやられているのですか?生い立ちも併せて教えてください。

高森町で生まれ、子どもの頃からずっとサッカーをやっていました。サッカー部がない下伊那農業高校へは行かず、建築に興味もあったため長姫高校へ進学しました。その先はプロになる道はないことを実感したので東京農大の短大で農家の後継ぎになるための勉強をしました。

その後、高森町に戻ってきて就農しました。その頃は花生産が主力で、冬場に市田柿を生産する農家でした。

この頃はバブルが弾けた余韻がまだありましたが、ガーデニングブームも去りあと10年もすれば花農家は半減するだろうと言われていました。そこで、特産である市田柿であれば食べ物であり、保存食としての意味合いもあるため市田柿を増やそうと考えました。だんだん市田柿を増やしていく中で、縁あって新たな事業として運転代行業も5年やりました。その頃、市田柿の機械化が加速し、どんどん市田柿の畑を借りていきました。

それでも、夏場は草刈りや消毒などの仕事くらいしかなかったです。そんな時に幼馴染が池袋で肉そば屋を始め、何度も食べに行き、家族でファンになっていました。彼は東京で飲食店の店長やフードプロデュース、メニュー開発などをできる人だった。経験のかなりある彼から、「お前のところの離れで肉そばやったらどうか」という話がありました。

なるほど、幼馴染との長いお付き合いが「肉そば こまつ家」の誕生秘話だったのですね

そうなんです。でも最初は冗談半分で聞いていたところもあったんですけど、彼と香川県に「讃岐うどんツアーに行こう」といって現地へ行き、観光客がたくさん行く有名店から、看板もない行列ができるお店だったりと様々なお店を見てきました。

それで、改めて「これの肉そばバージョンをやったらどうか?」みたいな話になりました。肉そばのあの味であればかなりの評価を得られ、自宅のある国道沿いであればアクセスも良い。高森町でも商売になるんじゃないか、と私も思い始めました。

次の年に家族を連れて似たようなうどんツアーをして、家族を説得というかカミさんの同意を得て、それから1年かけて準備をしてオープンしたのが「肉そば こまつ家」のはじまりのところですね。

すごいストーリーですね。これが約5年前〜6年前の話ですか?

2017年の4月にオープンしているので、そうですね。準備を入れると、6年前の話です。

そうなんですね。いつも行列ができて、美味しいと評判が高いのですが、開店当初から人気の店舗だったんでしょうか?

認知されればお客さんは増えるだろうなという確信はありましたが、最初はやはり少なめでした。段々と、ほぼ宣伝しなかったんですけど、やっぱり国道沿いに看板もあるし、口コミもあってか徐々にお客さんが増えるようになりました。

テレビに出るのが1番宣伝効果があると考え、長野朝日放送の人と市田柿の取材で知り合いになっていたことで「”農家が肉そば屋をはじめる”という特集を組んでください」っていうお願いをしました。この企画が通って放送してもらえました。そのようなことでお客さんが増えていきました。

あと、特産の市田柿を使ってオリジナリティを出そうとアドバイスをもらい、調理の過程で使うようにしました。特産の市田柿を使っていることが珍しく、テレビにも続けて出るようになりました。おかげで県内から多くのお客さんが来るようになったんですが、県外の特に中京圏のお客さんへのアプローチが弱かったので、情報雑誌にも1度出したりもしました。でも紙媒体では目にした人以外には効果がないことがわかりました。何かないかなあと思って考えついたのが、ベタですけど「100キロ看板」を出すという作戦でした。

100キロ先に看板。思い切った作戦ですね。

ここからR153を130キロ行くと名古屋なんですよね。だったら100キロ先に」「こまつ家」があるよっていうのを立てたらおもしろいんじゃないのって考えて、カミさんと一緒に100キロの地点をドライブがてら測り、市役所、地主さんをまわってお願いしました。先日も看板まわりの草を刈ってきました。

それは結果として、どうだったのでしょうか?

ツーリング、ゴルフ、ドライブで通る街道筋で目につくので、「看板を見て来ました」と言って来店してくださる方がいて、それで口コミで広がったり。看板を見てその時来れなくても、検索してもらえれば評価が高いことを知って、じゃあ今度行ってみようか。というのが狙いでした。営業で飯田下伊那に来た人たちが「美味しいご飯屋さんがないか?」と聞いた時に「変なそば屋があるよ」という口コミも言われるようになりました。

なるほど。

やはり、リニアができることで、国道沿いのお店が減っていることもあるし。後継ぎがいないため辞めちゃうとか、そういうことで食事処が減っているのもあるんですよね。

確かに、チェーン店は多いですけど個人店は少ないような印象ですね。ラーメン屋さんは、どこにでもあるけど。私も、高森町に初めて来た際に、ステレオタイプですけど長野なのに蕎麦屋さんが少ないというショックを受けたことはありました。(笑)

そうですよね(笑)。子どもの頃から蕎麦を食べに行くという習慣はなかったですよね。今でも、ざる蕎麦だけでは物足りず天ぷらをセットにすればお値段が良くなります。しかし、私たちがやっている肉そばは肉がのっているし、ねぎ・ゴマ・のりもしっかりのっていてガッツリ。夕飯にもなるし、良い商品だなと思っています。

そうですね、彼(社長)のアイディアがものすごく生きていますよね。

そうなんですよね。近所に大きなスーパーがあって最初はそこに駐車場もあるし「そこがいいんじゃないか?」と言ったんですけど、「いや、この農家の庭先でやるのがすごく良いから」って彼に強く言われて、そのこだわりを見ると既に彼は未来が見えていたなと思いますね。

すごい優秀なプロデューサーというか、すごい出会いですね。いやらしい話ですけど、収入的には高かったりしますか?

個人の収入的には、やっぱり農業の方が多いです。そば屋としては、売上はありますが、従業員もたくさんいるのでそこにも人件費がかかるという感じですね。「薄利多売にして長く愛されるお店にしよう」と。これは幼馴染が言っていることですけど、農業も頑張りながらやっています。

あくまで経営の中の1つの事業という感じなんですね。

そうですね。自分で作った農産物を卸して、6次産業という感じで。肉そばにのっている長ネギとか、かき揚げの玉ねぎは自分で作っていて、とろろの長芋は県産でやっています。お客さんに飲んでいただいているそば茶も自分で栽培して製茶したものを販売もしています。世界情勢や食糧危機の心配から今年からお米も作ってみました。「できることは自分たちでやっていこう」というコンセプトでやっています。

それがお店の商品に入っているということですね。すごいですね。蕎麦屋さんをやったことによって人生が変わったという感じですね。

はい、忙しくなりました(笑)。法人を立ち上げたり、いろいろなことにチャレンジして、試行錯誤が楽しいですね。今は働く時代です(笑)。儲かっているねと言われるんですけど、過労でなんとかなっているので「不労所得ならぬ過労所得」ですね(笑)。

逆に苦労とかは、ないんですか?

結果的に苦労になっていたことはありますが、最初から嫌だと思ってやっていることは1つもありません。お客さんに喜んでもらうためであれば最善をつくします。

従業員に長く働いてもらえる環境づくりが難しいですが、ここも社長に相談したりでうまく解決する方法を教えてもらっていますね。

本当に、いいビジネスパートナーですね。

本当にそうですね(笑)。本部の社長という立場の違いはありますが、お互いを尊重しています。私も彼も、子どものころからずっとサッカーをしてきて、小学校時代はサッカーチームがなかったことで、大会のためにわざわざチームを登録して参加したこともあります。中学生時代では仲間に恵まれ県大会レベルのチーム力もありました。その中で、お互いを尊重する「リスペクトの精神」はサッカーからもらった大切な宝物です。

これから高森にもサッカー場ができます。僕らからすると、夢のようなフィールドです。「あの時のようにサッカーチーム作ろうか!」なんて話もしています(笑)。

なるほど。今後はどのような展開にしていきたいとかはあるんですか?

以前は2号店、3号店とか考えていたんですが、しっかり店を任せられる人が育たないとダメだと思って。焦らず、この店を大切にしながらやっていきます。タイミングがそろえば増やしたいですが、何でもタイミングですよね。

ここに140年の土蔵があるんですけど、民泊ができる施設もこれから作りたいなと動いています。農業体験、移住希望者の拠点になればと考えています。自宅の立地、歴史ある建物、経験、仲間のような自分の武器を大事にしながら、また次の武器も身につけられるよう、企んではいますね(笑)。

めちゃくちゃバイタリティがありますね。

今の年まわりがそうさせるんでしょうね(笑)。役場に行くことも増え、役場から紹介してもらったり、応援してくださるようになり高森町に恩返ししていきたい。自分が住んでいる町を盛り上げるのは住んでいる人自身であると思います。

いやぁ今日は貴重なお話をありがとうございました。まだまだ聞きたいことはあるんですけど。20〜30ページぐらいになりそうなので(笑)。また肉そばを食べに来ますね。本当に美味しかったです。これを読んでいる人、みなさんに来てもらいたい(笑)。

こちらこそ、ありがとうございます。これからも「こまつ家」をよろしくお願いします。

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写真・文:Yusai Oku
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※本記事は2022年9月29日時点の内容を掲載しております