子育て支援コーディネーター 宮島 美代子

子育て支援コーディネーター 宮島 美代子

宮島 美代子

MIYOKO MIYAJIMA 子育て支援センターの子育て支援コーディネーター
Interview

小学生ぐらいの時から近所の子どもたちを集めて、歌を歌ってあげたり、お話をしてあげたりするのが好きでした。

TAKAMORIJIN File No.014

宮島 美代子

MIYOKO MIYAJIMA

子育て支援センターの子育て支援コーディネーター

子どもたちへの愛

ちょっと受け身なところ

高森で育ち、高森の子どもたちや若い親世代の人たちに愛を持って接する「高森のマザーテレサ」のような人。人柄も優しく包容力があり、なんでも相談してしまう。自身のことを「おばちゃん」と呼んでと言う、みんなのお母さん的な存在。

アグリ交流センターから見た星空

子育て支援コーディネーター 宮島 美代子

初めまして、よろしくお願いいたします。改めて、自己紹介をお願いします。

私は、子育て支援センターの子育て支援コーディネーターをやっており、こちらの施設に勤務しています。(※1)

自分の持っていた資格は保育士ですが、保育士をやっていた保育園は15年ほど前に辞めました。その後、子育て支援の仕事に就きました。子育てハッピーアドバイザーという認定資格と子育て支援士という資格をもって活動しています。

保育士と子育て支援センターでの仕事は違うのでしょうか?また「子育てハッピーアドバイザー」は、初めて聞きました。これはどのような資格ですか?

保育園で子どもをお預かりする保育士のお仕事と「子育て支援」とは全く違うものとなっています。同じ部分もあるのですが、そこから一歩引いた大きな目で見ないといけないのが、子育て支援センターでのお仕事になります。

保育をすることはその目の前にいる子どもさんを見ている、責任を持って預かる仕事になっていますが、どちらかというと子ども支援センターは、社会福祉的な部分とサービス、対人援助などといった部分が関わっていますね。

また、自己肯定感が親も含めて日本の子どもたちは意外と低いので、そうではなくて、「私は私でいいんだ、僕は僕でいいんだ」という自己肯定感を感じていただけるためのアドバイスをするための資格が「子育てハッピーアドバイザー」の資格です。

例えば、どのような相談がくるのでしょうか?

子育て相談、悩み事相談などいろいろな相談に来ることがあるのですが、その人のお話を聞いていくと、大抵の人は自己肯定感が低いんですよね。

本当に自分のことを信じていない、イライラしています。その人自体が意外と小さいときから愛されていたという実感が薄かったりしているんですよね。

心の声というものをとにかく吐き出していただいています。自己肯定感の低い人は意外と心の声をすぐに出せないのです。だから、心の声を本当に引き出すのが自分の仕事です。そうすると、この人はこういう人なのかと思えて来ます。
そういった時に、「あなたすごくいいところを持っていますね」や、「そういうことだったんですね」とか、私は「あなたのことを本当に素敵だと思っています」という気持ちを伝えていくと、だんだんその人の自己肯定感が高まっていきます。

そういうのが仕事です。悩める子羊ではないけれど、ここは駆け込み寺みたいなところでもあるかもしれませんね。

いいですね、「駆け込み寺」そういう施設があるのは地域にとっても強いですね。ちなみに、こちらの施設の対象は何歳ぐらいなんでしょうか?

基本的には、0歳から未就学児を連れた親御さんを対象にしています。町外の方も利用できますが、経費がかかる部分は若干でも負担してもらうかたちで、200円を頂戴しています。

こちらの施設のポイントや強みはどんなところでしょうか?

ここの一番の特徴は、遊具が他の田舎のどこにもないものを使っていることです。これが自慢できるところです。いろいろな先進的なところを見に行ったりしてつくりました。ボウネルンドという会社の遊具です。

全身を使って遊べたり、少し考えないと遊べない知育的なものなど、いろいろな遊具が置いてあります。

その遊具が魅力だと、都会から来られた方に言ってもらったことがあるぐらいです。

色々と教えてくださり、ありがとうございます。宮島さんご自身のことをもう少しお伺いしたいのですが、高森町のご出身ですか。

そうです。高森人です。生まれてからずっと育つまで、学校も地元の学校で、そのあとの幼児教育の学校も地元でした。幼児支援教育の資格を取ってからも、高森町の保育園で働いていました。超高森人ですね。(笑)

そんな宮島さんにとって、高森町はどんな場所ですか?

風景自体が癒される場所ですね。

守ってくれている山の上に、アルプスがあって、赤石山脈がぽこんと見えたり、上を見れば、星があったり。大好きな場所です。
外に出てみると、よそからの良さに気づきます。ここにどっぷりはまっていると、当たり前になってしまいますけどね(笑)

私は子育てするにはすごくいいのではないかと思っていますが。

小さいうちはいいと思いますが。

確かに大人になって来ると、だんだん外に出たくなってしまいますよね。

少し刺激がほしくなりますよね。必要だと思いますけどね。

Uターンだったり、Iターンみたいなところで、地元に帰ってくる方もいらっしゃって、そこで子供を少し見ておいてもらうという方も多いのでしょうか?

そうですね、こちらの施設にはそういう利用者の方もいっぱいいますよ。

子ども供に関わろうと思ったきっかけや子ども供の仕事をしようとしたのは何かあったのでしょうか?

小学生ぐらいの時から近所の子どもたちを集めて、歌を歌ってあげたり、お話をしてあげたりするのが好きでした。

だから、大きくなったら保母さんになりたいと思っていて。

もう一つやりたいと思っていたのは演劇です。表現が好きだったので、子どもたちの前でお話をしてあげたり、紙芝居を読んであげたいと思っていました。

そのことを仕事として活かしたいと思っていた感じですね。保育士など子どもに関わる仕事をずっとやられてきたんですね。今、お仕事は何年目なのでしょうか?

保育士の仕事は正規職員として33年やっていて、その後このお仕事は15年目です。

保育士は定年ではなくて、50歳ぐらいで辞めたんです。このまま保育士をやるより、今の町に必要なものは子育て支援センターなのではないかと思ったんですよね。

その頃にいろいろなまちづくりのワークショップに参加しまして、そこでも高森町には子育て支援センターが必要であるという話があり、その思いが一層大きくなりました。
それから、子育て支援センターのコーディネーターをの募集があった時に自分もそちらに是非ということで手を挙げて、そこから始めたのが現職の子育て支援のコーディネーターの仕事です。

近所のスーパーでも、かつて保育士の頃にみていた子に会うこともありますよ。例えば、当時3歳だった子が大きくなりもう高校を卒業していたり。成長を見ていくのがすごく楽しい。

こうなると区切りが付きにくくなるんですよね。(笑)

天職という感じがしますね。素敵です。最後に、何かこの記事を読んでいる人たちにもハッピーなアドバイスをいただけないでしょうか?

こういう山間の町だからこそ、屏風に囲まれていて、それほど大きな災害もなく、どこかで何かが起こっていても、ここは守られている。

逆に、そういうところだけに住んでいると、本当に井の中の蛙になってしまいます。お外のこと、世間のこと時代のことが考えられなくなってしまいます。いろいろな外から持ってきた刺激を与えてもらえる人や物、そういうものを求めていかなければならないと思っています。

「不思議なたけのこ」という絵本があります。大好きな本で、小さいときからその本が好きです。大きな竹を倒して、その竹に沿っていったら海の町に出た。その海の町からいろいろな魚などがこの山の町に来るというお話です。

また、小さいときはここでのびのびと育って、優しい心を持つようになります。
しかし、一度やっぱりリニアなりに乗って、外へ出て都会でもいいし、どこでもいいので、違う空気を吸うことは私は必要だと思います。なので、ずっと生まれてから、ここ60何年も住んでいますが、できるだけ違う空気を吸いに出かけたり、人と出会ったりしたいと思います。自分はもう年齢が高くなっているので、若い人や子どもがのびのびと活動できる場をいっぱい設けて、環境として応援したいです。

子どもは泣いて当たり前だし、静かにしなければならないという点で窮屈になってしまっています。せめてここで育った人はのびのびと育ってほしいと思っていますね。

アクティブで幸せオーラが漂っていて、話している私も元気になりました。今日は貴重なお時間をありがとうございました。

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写真・文:Yusai Oku
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(※1) 宮島さんは令和4年3月末をもって当時の勤務先を退職され、現在は町内の別の保育施設で保育に関わりながら子育てアドバイザーとして勤務されています。
(※2) 本記事は令和4年3月22日取材時の内容に基づきます