香紫 店主 広瀬 隆子

香紫 店主 広瀬 隆子

広瀬 隆子

TAKAKO HIROSE 香紫 店主
Interview

今年で、79歳。
嫌々はじめた焼肉屋さんも今では元気の源に。
自分たちで自立していける町に。

TAKAMORIJIN File No.004

広瀬 隆子

TAKAKO HIROSE

香紫 店主

野菜から自家製のとっておきの漬物

覚えが悪い(笑)

とにかく明るい焼肉屋さんのお母さん。喋り始めたら止まらない。 その明るさが、高森町内外のお客さんを惹きつける。 トマトジュースを持ってきて、お客さんにビールを継いでもらって「レッドアイ」にして飲んでお客さんとお話しすることが大好き。本当は旦那さんのアイディアであった焼肉屋さんなんてやりたくなかったけど、今となってはやっていてよかったと思っている。 たかちゃん特製の秘伝・焼肉のタレが絶品。電話にて、要予約な高森町の隠れた名店の店主。

「美佐登」さん、「みや」さん、「大吉」さんという居酒屋さん

香紫 店主 広瀬 隆子

こちらの焼肉屋さんは、いつ頃からやられているのですか?

昭和45年からやってます。33年ぐらいになるかなぁ。高森町出身ですよ。
生まれも育ちもずっと高森です。

隆子さん、お若く見えますけどおいくつなんですか?

昭和17年です。若くないですよ(笑)

ということは、戦時中ですか?戦争は経験しているんですか?

そう。そうだね、戦争と戦後を経験しているね。だけど、戦争は記憶にはないな。モノはたくさんあった。百姓の家だったもので、食べるものはたくさんあった。お兄さんが、芋のごはんとか麦のごはんは嫌だって言ったら、お母さんが白米を炊いてくれた覚えはある。いっぱい、米はたくさんあったから。結構、豊かな生活をして、そりゃ幸せだったな。

36災害というのがあってね。そのときは塩尻で、20世紀梨の袋掛けのアルバイトをしててな、伊那大島駅から歩いて帰ってきたな。川の荒れようはびっくりしました。それは、怖かったね。水害は、とても怖いな。高いところに家を建てろと子どもたちには言っている。だから、川の側は嫌だな。

焼肉屋さんをやる前は何をされてたんですか?

お父さんが7年程前に亡くなってから、息子が引き継いでやってます。私は、ここを始める前は、土木の手伝いと乳牛(酪農)をやっていましたよ。お父さんと2人で。息子も農学校出て、塩尻の畜産試験場行って、授精師の資格とって、牛の乳絞るつもりでおったんだけど、そのうちだんだんと旦那の仕事が大きくなって、結局乳業はやめたの。はじめはやってたのよ、最初は乳搾って、夕方から焼肉屋やってたから大変でしたよ。

現在は息子二人で(有)寛龍建設を経営しています。長男が社長で、三男がクレーン運転手。次男は今は東京で働いています。次男がクレーンを欲しくて亡父と話をしていたことがあったようです。

乳牛やりながら焼肉屋さんって、すごいですね(笑)焼肉屋さんは、隆子さんのアイディアだったんですか?

乳牛やりながら焼肉屋さんって、すごいですね(笑)焼肉屋さんは、隆子さんのアイディアだったんですか?

焼肉屋さんのおすすめはなんですか?

生マトンがおすすめですね。最近は、牛バラがみんな喜んで食べていますね。あとは、モツ。モツ系が人気ですね。あとは、タレかな。次男が、東京の人を連れて来たときに、焼肉屋さんをオープンさせるときにこのタレを使いたいといって、レシピを教えてあげたことがあったよ。だから、東京のどこかで食べれるはずだよ。

昔と今とでコロナはなにか変わりましたか?

最近はコロナでお客さんが少なくなりました。まぁ本当にお客さんが減ったねぇ。

隆子さんは、全く79歳には見えないのですが。元気の秘訣はなんでしょうか?

明日も電話が来て、8人~10人のお客さんの予約があって、あぁ嬉しい、ラッキーってなったところですよ。だから、お客さんが来てくれることが1番の元気の秘訣かな。好きなことを言って、逆にお客さんも好きなこと言ってきてな。お客さんと喋ったりすることが、それが楽しいな。あとは、第3月曜松川の友達がフラメンコを教えてくれているから習っているんだけどな、それを踊るったってな、今になると覚えは良くないよ~。

だけど、身体を動かすことが楽しみで月に2回ぐらい教えてもらってやってるな。それでね、月に2回ばっかりコロナの前は、生田にあるお年寄りの施設に行ってボランティアをしていますよ。私より若い人ばっかりで、覚えも悪いけどな。それも楽しいですね。

今の若い人たちに伝えたいことってなにかありますか?高森町はどうなっていって欲しいですか?

自分の身は、自分で守る。やっぱし、みんなの言うこと聞いて、自分で判断して行動できるようにしなさい。人を頼りではなくてな。だから、高森町も、自分たちでつくっていって欲しいな。町も、自分で作っていくんだよ。

町長さんも若くて頑張って下さっています。皆の意見を言い合ったり、先輩の言う事にも耳を傾けつつ、良い高森町にして欲しいですね。

いろいろと録音させてもらって、これを参考に記事にしますね。ありがとうございました。これはいい記事にできそうです。

あら、嫌だ。録音、恥ずかしい。(笑)でも、よろしくお願いします~。(笑)

「あはは~!」と笑顔が絶えない、隆子さん。
お客さんからも「たかちゃん」と呼ばれ親しまれている。

なんでも1人でやってしまう、という馬力が誰よりも強く、高森町の「あったかもりまち」という標語を絵に描いたような人物。この人に会いに行くというだけで、香紫に行く価値あり。本当は誰にも教えたくないような、高森町の地元の人たちが通う名店。

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取材・撮影:Yusai Oku
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※本記事は2021年11月26日時点の内容を掲載しております