コラート毛糸 本島恭世

コラート毛糸 本島恭世

本島恭世

YASUYO MOTOJIMA コラート毛糸/代表
Interview

編み物を通して人と出会い、
毛糸の楽しみを分かち合いたい。

TAKAMORIJIN File No.010

本島恭世

YASUYO MOTOJIMA

コラート毛糸/代表

編み物・毛糸の染色

毛糸をやりはじめると時間を忘れてしまう。

毛糸を編みはじめるとずっと編んでいられるという、本島さん。「自分のペース」で毛糸の染色や販売をされている。時間が空いたときには走りに行ったり、山登りをしたりと、超アウトドアな一面も。インドアとアウトドア両面を、一瞬一瞬を大切に楽しんでいる。

月夜平展望台から見る「南アルプスの山々の景色」

コラート毛糸 本島恭世

本日は、よろしくお願いします。いつ頃から高森町に住み始めて、毛糸のことをやりはじめたのでしょうか?

2019年夏に引越してきました。元々、主人の実家がここ高森町なんです。進学の為に町を離れ、就職し結婚後、子供の成長にあわせて戻ってきたんです。高森町は子育てにいい町だということで。

本当は、定年退職にあわせてUターン移住を考えていましたが、早めに戻って住み始めました。
今は築100年以上の古民家での生活です。当初は玄関が土でできていて驚きましたが、土間って便利ですね。

実は、コラート毛糸を始めたのは、高森町に移ってくる前なんですよ。

高森町に住み始める前は、どちらにいらっしゃったのですか?

私は、以前長らく仕事の関係で海外生活していました。その時に出会ったのが主人です。結婚後は彼の駐在先タイで長女の出産と子育てをしました。当時、私にとって編み物は無縁のものでしたが、なんとなく始めたのがきっかけとなり編み物にハマりました。これがコラート毛糸に続く最初の一歩だったと思っています。

最初は日本で購入しておいた毛糸を編んでいましたが、毛糸の残りが足りず作品を完成できないことがあり困りました。常夏の国、タイではアクリル毛糸主流でウール毛糸は入手しづらかったからです。

材料を自分で調達する目的で始めたのが、羊毛染色だったんです。

そうなんですね。タイはバンコクだったのでしょうか?それと、毛糸にのめり込んでいったことをもう少し詳しく教えください。

はい。最初は日本人人口が多い首都バンコクに住んでいましたが、その後、通称コラート(ナコーンラチャシマー)、バンコクから250km離れた街に移りました。
最初の染色方法は、台所で食用色素とお酢を使用したものです。炎天下、白と黄のプルメリアが満開の庭に沢山の試作毛糸を干していたのを思い出します。汗流しながら、干してました。

主人が朝出勤し、子供たちが幼稚園に行っている間の時間、編み物をしていました。日本ヴォーグ社「毛糸だま」の作品をよく編んでいましたね。

棒針の表目、裏目もぎこちないところから始まり、一人で本を見ながら編み方や編み図の読解を習得していきました。

初めて、フェアアイル柄のセーターを編み終えた時はとても嬉しかったです。複数色の毛糸を交互に編みすすめ、糸交換を交えながらは大変でした。何度も、失敗し、解き、やり直ししましたが、その時のわくわく感は今でも忘れられません。

家族にとってコラート生活の思い出は、遺跡巡りや大好きな動物園があるようですが、私にはなんと言っても、羊毛染色を始めた記憶が一番にあります。

それでコラート毛糸という名前だったのですね。そして、編み物が人生にフィットしたのがタイだったということですね。それにしても、毛糸が本当に色鮮やかというか良い色をしていますよね。

ちなみにあの看板も手彫りですよ。大変でしたけれど、息子の彫刻刀で自作しました。(笑)

すごく楽しくて、山ほどセーターを編んでいました。毛糸をその度に買うのが馬鹿らしくなっちゃって。色々調べた結果、欧米では毛糸染色を趣味にしている方が多く、良質な染色用の毛糸の入手が容易です。結局、アメリカから卸値で仕入できることになり、それを染めていました。

その頃になると酸性染料を使用しました。発色が良く、染色の表現の幅が広がるのですが、何せ私には染色の知識もなく、ましてや先生がいたわけではないので、全て本をもとに、色選択、染料配分、加熱温度管理、を独自でメモしながらの試行錯誤です。まさに、トライアンドエラー方式です。

もちろん、今も変わらず自ら手染めした毛糸だけを販売しています。やはり、手染めは量産にはない特有なグラデーションや染めむらを表現できます。少しずつ、全国からインターネットで注文をいただける様になりました。先日は海外のシンガポールからの注文もありました。

インターネットだけの販売なのですね。他には、お店に委託販売とか出展とかされていないのですか?これだけ手の込んで色鮮やか毛糸なら「欲しい」という方がいそうな気がしますが・・・。

基本、ビジネスというより、自分の趣味の延長だったのが、少しずつ大きくなってきているといった感じです。今のところ、インターネットだけの販売ですね。量産はできないというのもあります。
でも、こうやって取材まで来ていただけたので、その力をいただいて「これからますます頑張ろうかな」って思っているところです。(笑)

今年か、来年か、どこかでクラフトフェアに出店しようかなとか考えています。コラート毛糸で自分の製図した編み図を使い、ワークショップもやってみたいです。夢に近い、遠い将来ですが、高森町にみんなが集うニットカフェを作れたらいいですね。きっと、いろんな方と知り合えてもっともっと高森町が好きになっていくと思います。

そういったものを、今後やってみたいとのことですね。いいものは自然と広がっていくものですよね。好きなことを仕事に出来ているというのは、すごいですね。

でも、実はこれは本業じゃないんですよ。普段は高森町の病院で働いています。

正直、この町の歴史や風習のとはあまりよく知りません。例えば、隣近所を屋号で呼び合うなんて驚きました。屋号は歌舞伎の世界だけのものと思っていましたし。
この町の人々とふれあいの交流を深めていく事がこの町をよく知れる近道かもしれないと思い、就職しました。

2年前、介護と保育の資格を取得し、小さい力ですが、地元社会に密着し、貢献して行けたらなと思ってます。

コラート毛糸の売上が伸びればいいなとは思います。しかし、手染めには手間がかかり、一人でやっている事なので状況によってキャパオーバーしやすいんです。量産に追われるやり方は望んではいません。自分のペースで好きなように染め、気に入っていただいた方が編み物を楽しむ。シンプルに行きたいです。

いいですね。高森町で生活・毛糸を染められていかがですか?

高森町は自然が豊かですよね。天気のいい休みの日は、気軽に家族で近くの低い山に行くことがあります。吉田山、風越山、小八郎岳からの景色はお見事です。時には、子供たちと瑠璃寺の上にある月夜平大橋展望台まで走ります。あまりにもの傾斜で、歩いている方が早いくらいです。そこから望めるのは、北から仙丈ヶ岳、北岳、、、塩見岳と連なる南アルプスの景色と澄み渡った青空、下には緩やかにくねった天竜川と里山集落。その絶景に息切れしていたのを忘れてしまいます。

家族みんなで身体を動かすことが好きって素敵ですね。毛糸とは正反対なイメージがありました。(笑)

実は、昨年、スキーで左膝靭帯損傷の大怪我をしました。予後の不安もありましたが、リハビリによりロードを走る分には回復できました。その嬉しさもあり、最近は走ることが大好きです。

私は決してストイックでスピードを求める競技の為に打ち込む走りはできません。

よくいう、健康マラソンですよ。高森町には、ジョギングするには良い南信州フルーツライン(広域農道)があり、橋を渡ったり、美しい山々の景色を見ながらのランニング、ウォーキングできます。

駅伝に夢中の息子と娘と一緒にランニングすることもありますが、我が家ではそのコースを通称:高森ランと名付けています。

編み物もランニングもそうですが、同じことを反復するリズム運動によって脳内物質であるセロトニン(幸せホルモン)が分泌されるそうです。確かに、編み物をすると気持ちが幸せになります。走った後もとても気持ちがいいものです。科学的に証明されているんですよ。

いいですね、夢中になれるものがあるって。今日はありがとうございました。きっと発信していたら「夢」は叶いますね。コンセプトにもある「毛糸に恋して」というのが、深く理解できた時間でした。ありがとうございます。

もう少しインスタグラムとかの更新を頑張らないといけないけれど・・・。(笑)本当に楽しいので、「毛糸に恋して」毛糸のことはこれからもずっとやり続けていきたいですね。

今日は、貴重な機会をありがとうございました。

ひょんなことから毛糸にのめり込んでいった、本島さん。きっと高森町に住むということも強く意図はしていなかったのでは。「好きだから」やり続けることは、利益などを度返ししてやり続けられるんだということを本インタビューを通じて学びました。これからのコラート毛糸と、お子さんの未来が楽しみです。
--
取材・撮影:Yusai Oku
--
※本記事は2022年2月4日時点の内容を掲載しております