高森町 町長 壬生 照玄

高森町 町長 壬生 照玄

壬生 照玄

SHOGEN MIBU 高森町 町長
Interview

慌てることなく、じっくり丁寧に、やっていけるポテンシャルが
高森町の1つの魅力なんじゃないかとも思っています。

TAKAMORIJIN File No.007

壬生 照玄

SHOGEN MIBU

高森町 町長

お寺出身なので、お経が読めます。(笑)

意外と小心者

天台宗のお寺出身でお経が読める町長。実家のお寺では人手が足りないときにはお手伝いをすることもあるのだとか。学生時代は、バレーボールに精を出していた体育会系な一面も。町長をやりたいという気持ちは、実はそこまでなかったというが、高森町へ戻って来て、すべてはタイミングが重なった結果と言う。町長になって4年目、「人の教育を主」として町政を行っている熱いパッションをもった人。

隣政寺(山の寺)とそこから眺める景色。

高森町 町長 壬生 照玄

ご出身は高森町で、ご実家はお寺だということもお聞きしたのですが。

高森保育園からずっと高森ですね、高校は飯田の高校に行きました。大学は東京に行ってそれでこっちに戻ってきて役場に就職して。

あとは町の職員とお寺の仕事はずっと手伝いながら、という形で。実家は「隣政寺」という天台宗のお寺です。

「お寺の跡を継ぎなさい」みたいなことはなかったんですか?

子どもの頃は、「跡を継げ」が凄いプレッシャーでした。(笑)

中学校の始めくらいまでは、「お寺の子どもだ」っていうのはそんなに嫌じゃなかったんですけど・・・だんだんと、いろんなことが分かってきた時に、寺を継ぐとかそこのルートが決まっていることが、実は凄い嫌だったりしましたね。(笑)

ちなみに子どもの頃は、どういうお子さんだったんですか?

小学校の頃から、好き嫌いははっきりしていましたね。中学校ではバレーボールをずっとやってて、それなりに出来た方だとは思います。

嫌だったんですね(笑)・・・。それでも、東京に出てから高森町に戻って来られたんですね。

あの時の気持ちっていうのは、ちょっと複雑でした。大学時代に自立してやっていける自信もありましたが、「いずれは戻って来なきゃいけないだろう」っていう使命感みたいなのはありました。

やっぱり、お寺の跡継ぎのことなども含めて当時は色々あって、高森町に戻ってくることにしました。その時に日本でもちょうどバブルが弾けたのも、戻る1つのタイミングだったんだと思います。お寺だけでは生活が難しかったこともあり、役場にお世話になることになりました。

「町長になる」というのは大きな決断だったと思うんですけど、何があったんでしょうか?なろうと思ったキッカケみたいなことはありましたか?

実は、もともとそんなに町長をやりたいという気持ちはなかったんです(笑)

それでも、町がこれからリニア建設など新しい時代へ向かっていく時に、自分として「何かやらなきゃいけないと」という思いはありました。役場に勤めていて、未来を作る手段の1つとして「町長」の職が頭に出てきたタイミングや、地域の皆さんや周囲の人たちの後押しもあって決断しました。

実家の住職(父親)も、高齢になってきてはいたんですが、「引退せず一生懸命やるから、お前は町長として、地域の皆さんのために頑張れ」と言ってくれたことも大きいです。町長って誰でもがやれる仕事ではないです。最終的には選挙という大きな関門があるんですが、こうした皆さんの「期待に応えなきゃ」って思いが、選挙に挑戦してみようと思った大きな理由ですね。

周りの支えが大きいんですね。月並みな質問で恐れ入りますが、大変なこともあるとは思うんですけど、町長をやられていて楽しいなという時はどんな時でしょうか?

町民の皆さんや、全く知らない人からも「ありがとう」と言っていただいたり、「高森町、頑張ってるね」と言っていただいた時ですね。

やったらやった分だけ、たくさんの町民の方に声をかけていただく機会が増えるわけじゃないですか、そういう時にやりがいって言うのを感じていますね。
役場の課長時代の時とは、全然違う手応えがあります。楽しいですよ。
「高森町、頑張ってるね」と言われるのは快感ですね(笑)

壬生さんにとっての高森町はどんなところでしょうか?そして、町長としてこれからやっていきたいこと、目指す高森町はどんなところになっていって欲しいと思っていますか?

やっていきたいことはたくさんあります。自分にとって、どういう場所かって言われるとやっぱり一番は自分が育った場所なので、「この育った環境を無くしたくない」という気持ちがとても強いです。

人口減少など多くの課題の中でも、高森町は生き残っていかないといけない。そのためにも、これからのまちづくりは、いい意味で「町民が行政を頼らない姿」、これが重要かなと思っています。

もっと「自分たちで稼ぎを増やしていく」とか、「高森町のPRを、町(行政)に任せるのではなくて自分たちがやっていくとか」そういった人たちの活動がどんどん盛り上って欲しいと思っています。それが自然の流れになると、町は、もっともっとよくなっていくんじゃないかなと思っています。

そういう意味では、まだ町(行政)に頼ろうとする人が多いかなって気がしますね。これからは、若い想いのある人たちの活動などを大切にしなきゃいけないですよね。人材育成っていうのが私のマニフェストの一丁目一番地に掲げているのですが、4年間かけてきて「やっと自立しなきゃいけない」という雰囲気を作ることができたとも感じています。

また、南信州地域の中では条件が恵まれている町ですから、すべての面において常に、リーダー的な存在でいなきゃいけない、とも思っています。

やはり熱い想いがたくさんありますね。

あとは、やっぱり子ども達ですよね。
「どうしても東京に行きたい」「名古屋に行きたい」「大阪に行きたい」。まだまだ、高森町の中学生や高校生の夢って都会での生活だったりするんですよね。でも、それって悪いことじゃなくて、外の世界を経験することは、私は、とても大切なことだと思うのです。むしろ、ぜひ一回は出ていって欲しいと思っているんです。

ただ、南信州地域や高森町が、どんなところなのか教えてあげないと・・・。地域を学ばず、地域の良いところや課題を知らずに外にいかれると、外の世界から地域を見る興味がなくなってしまうので、それはとても悲しいです。今年から、中学生が「地域応援隊」として、全校生徒440人が月に1回、地元の人たちの手伝いや体験活動に出かけています。もしかすると、保護者の中には、反対している人もいるかもしれませんが、でもこれって将来的にはとても大切な事なのではと思っています。地域にどんな場所があるのか、どんな企業があるのか、どんな人がいるのか、こうした働くとか楽しむとかも含め、いろんな材料が何にもなくては、地元を振り返れるってことは多分出来ないですよね。

それに、大介護時代を迎えたとき、親が介護になった時、誰が面倒をみるのかなんて考えると、なんとか子どもたちにその芽を繋いでいきたいなとも思っています。
子ども達を育てる10年〜15年計画をきちんとやらないといけないな、と思っているところではあります。

聞いていたいぐらいなのですが、高森の魅力はどんなところが魅力だと思いますか?

高森町は、この人物図鑑で発掘してもらっているような"人の魅力”がたくさんあると思っています。頑張ってる人が埋もれちゃうんじゃなくて、頑張ってる人が評価されるっていうそういうのができると凄くありがたいなと。

町としても、今後は人が前にでるようなPRができればいいなと個人的にも思っています。慌てることなく、じっくり丁寧に、やっていける人たちのポテンシャルが高森町の1つの魅力なんじゃないかとも思っています。

ありがとうございます。最後に、壬生さんにとって高森町で一番のお気に入りスポットってどこでしょうか?

やっぱり一番好きな場所は、自宅からの風景ですね。山の寺と言われるくらいの場所なので、山の中にひっそりとしているお寺のたたずまいや、そこから見える景色、山野草だったりとか紫陽花の道だったりとか、めちゃくちゃ綺麗ですよ。この歳になって、なおさらそういった風景とか自然に心が惹かれるようになっています。

アグリ交流センターから見る朝日も最高に綺麗ですね。シチズンの時計のコマーシャルでも使われたりしてるんですけど、元旦の日の朝には、町長になってから年賀状の出発式に郵便局に行くんです。その時帰ってくると、ちょうどあの辺で朝日が昇ってて、それはもう本当に最高ですよ。

町長になるとは思ってもいなかったという壬生町長。ご縁あって高森町の町長になった。今では、町民の声が一番のモチベーションに繋がっているという。

町のことを1番に考え、「行政に頼らない街づくり」というも印象的。これからリニアが通り、新生・高森町がどのような町になっていくのか。

そんなワクワク感のあるインタビューとなった。

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取材・撮影:Yusai Oku
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※本記事は2021年11月26日時点の内容を掲載しております