市田農産 片桐 源士郎

市田農産 片桐 源士郎

片桐 源士郎

GENSHIRO KATAGIRI いちだ農産 専務
Interview

子どもがかっこいいと思っている農家になって、
継いでもらえたら嬉しいですね。

TAKAMORIJIN File No.001

片桐 源士郎

GENSHIRO KATAGIRI

いちだ農産 専務

野菜や柿の早い収穫

頭の中を言語化すること

保育士になろうとしたほどの大の子ども好き。「ダサい」・「汚い」・「かっこ悪い」の3拍子と幼少期に思っていた農家の跡継ぎになるも、今では市田柿の生産にプライドをもって取り組むようになったイケメン若手農家。小さいころから群れになることを拒み、自分のやりたいことをやってきた人。とても明るくポジティブな性格の持ち主。

美味しい市田柿。子どもたちが走り回る昔も今も変わらない風景。

市田農産 片桐 源士郎

生まれたのは、どちらですか?

生まれは高森町です。短大で、5年程は、ちょっと外に(名古屋)に出たこともありました。それ以外は、高森町で生まれて育ちました。

高校時代までは、どんな子どもでしたか?家業を継げとは、言われなかったですか?

やりたいことをとにかくやらせてもらって、結構真面目な方だったと思います。

本当にやりたいことやらしてもらってたんで。そういう意味では真面目かはわからないですけど。

そして、後継者の話は、ありました!(笑)
そんなプレッシャーが「バシバシ」伝わるような感じでした。

やっぱり周りからもたくさん言われますからね。

おお、そうなのですね。嫌だった理由はあとで聞かせてください(笑)市田農産として活躍されていますが、創業してどのぐらいになるのでしょう?

市田農産としては20年以上になります。親父がいるので、まだ予定ですけど一応2代目になりますね。元はと言えば、うちのおじいちゃんがやっていたのを、親父が途中で会社にして、いろいろと取り入れながら大きくしていったという感じです。実質3代目みたいな感じなのかな?

これからも、末永く続いていくといいですね。短大(名古屋)を入れると外に出ていたのは5年間。ありきたりな質問かもしれないですけど、外から見る高森と『ここに戻りたいな』という気持ちが出てきた理由はあるのでしょうか?

生まれ育った場所という前置きがありますが、とにかく住みやすい町ですね。やはり、生まれたのも高森町だし、環境を変えてみたけど、結局のところ名古屋が合わなかった。

それと名古屋では、保育士の短大に通っていました。それで、保育士になるための勉強していたのですけど、いざ保育士の現場に行ってみると、子どもは好きなのですが、先生になるのと、子どもが好きっていうのは違いました。

それで高森に戻って来られたと?名古屋は、学生時代で終わったのでしょうか?

それもありますね。でも、短大を卒業してから、先輩を頼りに名古屋市内の卸しの市場で働きました。楽しさもありましたけど、朝早くて夜も過酷な仕事でした。

とにかく大変でしたよ。(笑)

その経験も今も生きています。例えば、どれぐらいで叩いて、どういう金額でどういったところに流れていくのか大変勉強になりました。その経験が生きて、単価を高く売らないといけないという気持ちは強くもっています。

先ほど、嫌と言っていましたが、元々、農家をやりたいという気持ちはなかったのでしょうか?

さっきの話ですね。子どもの頃は、農家は大嫌いだったんですよね。農家って、昔は「汚い」し、「ダサい」などと周りの人からとやかく言われていてダサくてかっこ悪くて嫌だった。

小さいころって、友達の家に遊びに行くとき、お土産とか持っていくじゃないですか。

他の家の子は、お菓子とか、箱に入った菓子折りとか持たせてくれるのに、うちは袋に野菜を持たされたが、本当に嫌だった。それを持って行くことがものすごく恥ずかしかった。(笑)

確かに、子どもの頃だと恥ずかしかったかもしれないですね。(笑)僕は、野菜を持ってきてもらえたら嬉しいですけど。それでも・・今は農家さんをやっている。お子さんはいらっしゃいますか?いらっしゃれば、子育ての環境ってどうなのでしょう?

いますよ!3人。まだ小さいですけど。畑に来て、きゃっきゃ言いながら走り回ったりしてます。まだまだお手伝いと言っても、人手にまではならないです。

親関係とか、こども関係とか、そんなにギクシャクしていないと思うし、先生もみんないい先生ばっかりだし。他に、その施設や、公園もいっぱいあるし。公園がいっぱいあるんですよ。

というか、農園の近くでは遊ばないんでしょうか?そこで走り回ったりとか?

走り回って、遊びまわっていますね。笑

休みの日でも、自分が仕事をして働いているときでも。
「きゃっきゃきゃっきゃ」遊んでますね。

少し話は戻りますが、単価を上げるために何かをやられていることはありますか?

納得するような付加価値。生産過程もリアルタイムで発信できたらいいのかなと。どれだけ市田柿を作るのに手間暇かかっているかわかってもらったらいいのかなと思っています。もっと露出度を増やしたいですし、みんなに市田柿の存在を知ってもらいたいですね。

何かの定番にしたいです。例えば、歯固めやお歳暮の「市田柿」とか?そういった、みんなにとっての定番にできたらいいのではないかという想いはあります。今は、そこまで手が回って、力を入れてやれていないですけど。

こういう取材とか、できるだけ登場して露出度を上げていきたいと思っています。ダサくて、かっこ悪いと思っていた農業をできるだけカッコよくて、スマートにしていきたいですね。みんなが憧れるような、みんなが就農したいと思えるような農家になっていきたいですね。

片桐さんにとって、高森町ってどういう存在でしょうか?そして、どうなっていって欲しいと思っていますか?

今、かっこいいこというところですよね。(笑)今の自分を形成してくれた源で。自然豊かで。これからもずっと居続ける場所なので、いろんなものと共存していきたい。

例えば、先祖代々守ってきている土地とか、自然、そして人。

子どもがかっこいいと思っている農家になって、継いでもらえたら嬉しいですね。その為に、菓子折りを持たせないといけないですね。でも実は、箱の中は、野菜だったりして。(笑)

いつも笑顔で明るく気さくになんでも答えてくださる片桐さん。
イケメン若手農家として、高森町で先祖代々続く農地を守り市田柿を生産されている。彼の作る農作物は人柄が乗り移ったかのような優しい味。秋には名産品である市田柿も生産されていて、高森町に来たら必ず食べていただきたい逸品。

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取材・撮影:Yusai Oku
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※本記事は2021年11月26日時点の内容を掲載しております